初めての韓国(1)

7月7日〜9日の滞在期間を終え、10日に無事帰国。初めての韓国であり、とても濃厚な三日間となった。

6日の夜、釜山の空港に着くとスンチョン大学のA教授がはるばる自家用車でお迎えに来てくれた。相当お疲れの筈なのに満面の笑顔で。心から感謝!
釜山の空港からスンチョンまでは車で3時間ちょっと・・・のはずが、カーアクション映画さながらのA教授の見事なドライビングテクニックで相当早く(とても正確な時間は書けません)スンチョンに到着。あれだけの運転に平然としている教授も凄いが、韓国車(KIA)も相当しっかりできているらしい。晩ご飯を先生のいきつけの店でごちそうになったあと、大学にほど近いホテルで就寝。

7日は午前中、スンチョン周辺をご案内いただいた他、ファオムサ(華厳寺)も見させていただいた。午後は大学に行き、静岡県沼津市、私の職場の事業内容などをおよそ1時間、学生達に話しをさせていただいた。その後、今度来日する学生達と面会したほか、インターンシップ事業を支援する事業団の担当者達とミーティングを行った後、しばしスンチョンを離れ光州へ向う事に。



【講演やミーティングを行った大学の校舎(以前は裁判所だったらしい)】



【教室の入口には私の名前が貼られていた】



光州では時を同じくして韓国に訪れていた高専のJ先生と、三島の有名イタリア料理店のオーナーOさんと合流。このインターンシップ事業の良き理解者であり、多大なお力添えをいただいているお二方である。晩飯を一緒に食べ、この日は光州泊。

8日は在韓の日本人女性Yさんと光州の駅でお会いする事に。Yさんはご主人が韓国人のカメラマンだそうで、生活や文化について色々と教えていただいた。その後、Yさん、Oさんとお分かれし、一人バスに乗ってスンチョンへ戻る・・・はずが、ハングルはまるで分からず、どのバスに乗れば良いのか想像もつかない。心優しいJ先生が案内してくれたのである。バスに揺られる事およそ1時間半、スンチョンへ到着。しかも、スンチョン大学の目の前がバス停なのだ!

「○○○さ〜ん!」
「こんにちは〜」
「アニョハセヨーーー!!!」

バスを降りたとたん、多くの若者の声が私に向けられているのが分かった。過去にインターンシップで来日した学生達だ。

この後は彼等、彼女等が大学を案内してくれると言う。そしてかなりの暑さの中、嫌な顔一つせずに広大な敷地を隅々まで案内してくれたのである。中でも印象的だったのは、彼等でさえ登ったことがないという大学で最も高い場所に位置するいわば屋上。ここから一望するスンチョンの景色は実に素晴らしい! 学生達も相当よろこんでいた。一通り大学を案内してもらった後は、皆と喉を潤しに近くの店へ。



【素敵な運転で私を魅了してくれたA教授(右)と学生達、A教授の研究室にて】


ここでは学生達が近況の報告や、将来の夢について熱く語ってくれた。あるものは教職の道を、あるものは軍隊へ、と様々である。来日時はおとなしく、殆ど会話をすることのなかった学生が嬉々として話しかけてくれたことは実に嬉しかった。かなり適当な韓国語で皆を困らせてしまったが、それに勝るとも劣らない日本語で彼等も応戦してくれた。助け舟は互いに発する片言の英語だったりする。この日はスンチョン泊。なんと全員でホテルまで送ってくれた。

翌9日の午前中はスンチョン市役所へ表敬訪問。10月には大きなスポーツイベントを控えているようで、市役所の入口にはマスコットキャラクターとカウントダウンの電光掲示板が設置されていた。スンチョン市の方から市のパンフレットをいただき、簡単な説明を受けた後、役所の中をウロウロ。フリーのインターネットスペースがあったり、職員の座席表には名前だけでなく顔写真まで貼られていたりと、中々オープンで好感の持てるムードだった。


おっといけない。

沼津市のパンフレット(韓国語版)を渡さねば! 先方に迷惑にならない程度の量のパンフレットを配れる限り配り市役所を後にした。そうそう、この日も学生達が車を出してくれたのである。

一通り当初の目的を果たしたので、後は近場を見て釜山まで戻ろうと思っていたが、学生達が「民俗村」へ案内してくれると言う。昔の韓国の生活様式などを再現した村らしいのだが、今も実際に暮らしている人もいるのだとか。映画やドラマのロケでも使われることがあるらしく、日本では「チャングムの誓い」で知られているドラマのロケも行われたそうだ。スンチョンから車でどんどん山間へ、およそ30分程で民族村に到着。とにかく広い! ここでは当時の娯楽、風俗、商習慣や、法律についての展示があり、殆どのものについて日本語でも解説が書かれている。そして何と言っても再現(移築もあると思う)された建築物は圧巻である。ロケで使われた場所にはそのシーンの写真が付けられており、ドラマを見た事のない私でも楽しむことができた。しっかりチャングムの座った水車脇の小屋で私も休んでみた。意外にミーハーだったりする。(しかしその背後の小屋が公衆トイレであったり、手洗い用のアイテムがキンバリークラーク社製であったりするのは内緒)



【民族村の水車小屋】


民族村を後にしようとした所、「ジッ」と私を見つめる一人の老人が・・・。80歳近いだろうか。

目を背けるのは失礼なのか、目を合わせ続ける方が失礼なのか、結局しばし見つめ合う私と老人。

すると「あんた日本人かね」と奇麗な日本語で話しかけて来た! しかし、どうみても現地の、しかも近所のお爺ちゃんにしか見えない。「日本語お上手ですね」と私が言うと、なんでも三十数年前に富山から移住してきたのだとか。目をうるうるさせ、こちらが恐縮してしまうくらい日本人に会えたことを喜んでいる様子。聞こうか聞くまいか迷ったが「なぜ韓国に移られたのですか」と聞くと、ぎゅっと手を握りしめ質問には応えなかった。「元気でな」と言うと現地の仲間の元へ歩いて行ってしまった。

つづく