死ぬまでに一度は

自分で車のデザインをし、その車に乗ってみたい。と、大昔は良く思ったものだが、最近またその思いが強まって来ている。幼少の頃はスーパーカーブームがあり、近隣の公園や空き地にショーがやってくると、父と観に行った記憶がある。

ランボルギーニ(Lamborghini)カウンタック(Countach)のガルウィングを見て興奮した記憶も、ランチャ(Lancia)ストラトス(Stratos)のアリタリアカラーを見て「プラモと同じだ!」と叫び笑われた記憶も鮮明に覚えている。あの頃は輸入車を目にする機会は殆どなく、ましてや中古自動車屋フェラーリが並ぶ時代が来るなんて夢にも思わなかった。そして、当時は日本車もクラフトマンシップに溢れた個性的な車が多かった気がする。そんな背景の中、「いつかは自分でデザインした車に乗りたい」という想いが子供心に湧いてきたのである。

時は過ぎ、色んな事に興味を持つようになると、次第に車への熱い想いは薄れ、せいぜい「車好き」止まり。経済的な潤いから、かつてはスーパーカーだった車を日常見かける機会も増えはじめ、かつての興奮・感動は薄らぎ、日本からは徐々に「かっこいい車」が無くなっていった。

しかし、免許を取得すると再び車への想いが強くなる。自分が買う事ができる車は決してスーパーカーではないけれど、運転することの喜びを満喫する日々が続いた。ただ残念なのは、自分が乗る車も、車窓から見える他の車も「満足の行かない」車ばかり・・・。そう「かっこよくない」のだ。安全性はもちろん大事。環境にだって優しくなければダメ。それはそうだろう、しかし! そうなるとデザインを犠牲にしなければならないという理由はない。少なくとも今の日本車には「欲しい!」と思わせてくれる車は皆無。海外の車を見ても、良い線いってるけど「いまいち」。自分の理想とするデザインを有した車は世の中に存在しないのか・・・。巷には「夢」のある車がないのだ。

そんなある日、一目惚れしてしまうほど夢のある車が現れた。

モーターショーでピニンファリーナ(Pininfarina)がコンセプトカーとして出展していたミトス(Mythos)だ。そう、昔のようなイカツイかっこ良さではないものの、車としての見事な進化系であり、流石はピニンファリーナと思わせるデザインであった。いずれにしても日本人では創造・想像することのできないデザインであることは間違いない。スーパーカーは現代も存在するのだ。

Pininfarina Mythos

この一件以来、一般的な車に夢を抱くことをやめた。ちょっと目線を変えてみたのだ。

あるある!

世界にはまだまだ熱い車があるじゃないか! イタルデザイン(Italdesign)のナツカ(Nazca)はジウジアーロの良い所が滲み出ていてたまらない「やるじゃないかファブリツィオ」な作品。パガーニ(Pgani)のゾンタ(Zonda)なんて、空を飛びそうだ。いいんだよ何億しようと、夢があれば。ピニンファリーナもイタルデザインもパガーニもイタリアか(パガーニだって元はブガッティ(Bugatti)の技術者集団だもんな。ちなみに、ブガッティも元々はイタリア)。今ではフォルクスワーゲングループの一商標になってしまったブガッティもヴェイロン(Veyron)は好きだ。洗練されたというよりは、怪物級のスーパーカーとしての魅力を感じる(EB110にはかなわないが)。

Pagani Zonda

他の国も負けてはいなかった(日本を除く)。英国マクラーレン(McLaren)(ベビーカーじゃないぞ)のF1や、米国ベクター(Vector)のM12なんてたまらなくツボ。夢があるよなぁ、夢が。スウェーデンだってボルボとサーブだけじゃない。ケーニセグ(Koenigsegg)があるじゃないか。新しいCCXは感動もの。これらの車には大衆車にはない男心くすぐる魂(たましい)の塊(かたまり)を感じる。日本からそれが消えてしまったことがたまらなく残念だ。

McLaren F1

やはりいつの日か、自分で車をデザインしてみたい。