資産運用への拒絶反応

「銀行の預金利息が少なくて・・・」
「将来の年金なんてあてにならないし・・・」

などと言う会話はもはや日常茶飯事。銀行に至ってはここで若干の動きはあるものの、それでも劇的な変化は望めない。仮に普通預金金利が0.1%としても100万円預けて千円。さらに2割は税金で持って行かれると、年に800円の利息か。ちょっと出し入れがあれば、手数料だけで簡単に飛んで行ってしまう額だ。

翻って当の銀行はどうやって稼いでいるのだろう?

当たり前のことだが、我々の預金を貸し付けたり、運用をしているのだ。先の100万円を例にとれば、銀行が運用等で3%稼いだとすると3万円は銀行に入ることになる。だが、預金者(普通預金者)には800円・・・。事はこんなに単純ではないにせよ、預金している側からすればどうも腑に落ちない。銀行に儲けさせてあげているようなものではないか。

ここまで来ると間接金融よりも直接金融を、と考えるのが必然?

かと思いきや、投資や運用というキーワードが出てくると、極端に拒絶反応を起こすのが日本人である。中でも財布の紐を握る多くの主婦たちは、極端にこのキーワードを嫌う。そして冒頭の二つのセリフを吐くのも、多くはこの人たちである。

拒絶反応を起こす理由は一つではないと思うが、多くは「なんとなく危ない」という漠としたイメージから来るものだろう。そして、そのイメージと比べ、「銀行、郵貯は安全」となる。さらに、投資や運用というとデイトレード的な斬った張ったの株取引が頭をよぎるらしい。四六時中モニタを睨みつけ、複数台の電話を駆使(今はネットか?)「売りだ!買いだ!」というあれ。

でもそれだけではないな・・・、と思っていた矢先、先の日経新聞に面白い記事が出ていて「なるほど」と思ったことがある。こういった背景がなんとなく人づてに伝わってくる。あるいはムードとしてアヤシイと思う素地になっているのかもしれない。この記事ではグロソブとさわかみ投信村上ファンドではないのであしからず)を例にあげ、新しい時代の株式投信を取り上げている。グロソブとさわかみ投信についてはここでは細かく触れないが、面白い記事とは以下の部分である。

(前略)〜一九五七年設定の最長寿投信の直近の基準価格は三百六十五円(設定時一千円)、純資産は六億円弱。四十九年間の日経平均株価の上昇率約三十倍に対し、分配金込みの運用成績は単純計算で三倍程度にとどまっているもようだ。〜(中略)〜投信の不幸な歴史を象徴する事例と言える〜(後略)

衝撃的な記事である。なるほど、これでは確かに拒絶反応が生まれる訳だ。関心が無い人でも周囲から良い話しは耳に入ってこないだろう。良い話しを囁くのは証券会社や金融機関の人ばかりか・・・。旧来の証券会社や金融機関の罪は大きい(旧来と書いたが多くの証券会社や金融機関の体質は「今も」さほど変わっていない)。

しかし、成熟経済期と呼ばれる時代に入り、国の施策も大幅に変化している今、運用は資産形成の中で欠くことの出来ないファクターだと思う。もっと我々が関心を持ち、証券会社や金融機関が「本当に顧客のことを思う」商品を作る努力をするくらいになるまで勉強をする必要があるのだろう。

「今までのような時代は終わった、将来が心配だ・・・」

ま、殆どの人は言っているだけで何もしないのが現実である。時代は好むと好まざるに関わらず、恐ろしい勢いで変わっているのに。