ルーツ富士宮、やきそば、牛丼そして

今日は富士宮市のとある市民活動団体の総会にお招きいただき、正午過ぎまで富士宮に滞在。

何を隠そう、韋駄天家のルーツは富士宮にある(って前にも書いたっけ)。親戚の行事以外でも色々な思い出のある富士宮という土地は「太い」訳ではないが、途切れる事のない縁で繋がっているのだ。

総会の後、本家筋の墓を訪ねることにした。広大な敷地(墓地)はすり鉢状になっており、韋駄天家代々の墓は上〜の方で、入口からはひたすら上り・・・。幼い頃の墓参りではひょいひょい楽しみながら登れたのだが、さすがに今はキツい。

思いつきで訪ねたので、線香もなければ、掃除をする訳でもないのだが、一番近くに亡くなった叔母のひと際新しい塔婆を目にし、色んな事が頭を過る。ひとしきり代々の先祖に手を合わせ、もう薄れて読み取ることも困難な墓石をじっくりと見てみた。

すると一番古そうな墓石には「元禄」と刻まれている。「南無妙法蓮華経」の彫りも誠に達筆であり、腕の良い職人に彫られたのだろうと推察できる。元禄と言えばもう300年以上も前、韋駄天家の先祖はどのような人達だったのだろうか。

そしてその墓石に書かれている先祖の戒名を見て驚いた。「悲母」という文字が使われている。当時の戒名の付け方がどのようなものだったのか伺い知る事はできないが、「悲母」とはまた随分深い名前をいただたものである。現代ではなんとも不幸な死に方をした母親のようにとらわれるかもしれないが、ここで意味する「悲」、「悲母」は愛や慈しみの究極の形を意味しているのだ(法華経に良く似た経典に悲華経も存在している)。

考えてみると、祖父は「極楽」という文字をいただいていたな、などと記憶が蘇った。葬儀の際、その由来についてのウンチクを聞かされたが、もう少ししっかり聞いておけば良かった。私の父はいたってシンプルであり、浄心という仏縁門下の弟子であることを表す漢字の下に、父の本名から一文字とありがたい文字の組み合わせで作られていたが、「好酒」とか強烈なインパクトのあるものは無かった。また、父は長男ではなかったため、今では三島の墓地で宜しくやっている。父がこよなく愛した寺を眼前に眺める事ができる絶好のポジショニングだ。(ここもまた登らなければならないが・・・)

いかん、午後は職場に来客があるのだ!

と思いつつも、帰りがけに別の思い出の場所をぐるりと回った。「昔とかわんねぇな〜」(いい意味で)と思いながら、若かったあの頃の甘酸っぱい思い出、ほろ苦い思い出もろもろを思い出しながら帰路につく。

ぐ〜、っと腹が鳴る。

もう13時をまわっていたが、昼飯を食べていなかった。せっかくだから、富士宮やきそばにしようかとも考えたが、昨晩、妻と二人で富士宮やきそばを食べたばかりだった・・・。ふと路傍の看板に目をやると「すき家、この先700m」!! 今日は牛丼特盛、卵、みそ汁の定番コンボだっ! と脳みそは牛丼モード120%

見えて来た「すき家」、なんと右側じゃないか。しかも対向車線の交通量は多い・・・入りにくく出にくいパターンだ。もう少し我慢してみよう、と車を走らせると「吉野家」の看板が左手に! ぐんぐん迫って来る吉野家、ん? 駐車場が・・・いっぱいである。これから入ろうと言う車も多い、まだ我慢出来るのでさらに車を走らせる。飲食店が多いなぁ〜、などと思いながら運転していたら「松屋」を通りすぎてしまった。そうこうしているうちにかなり下まで降りて来てしまったので、もう沼津の「すき家」で決め撃ちしようと心に決める。かなりの交通量ではあったが、ようやく沼津市に入る。そしてある看板が目に飛び込んで来る!!

CoCo壱番亭」

う、、、うまそうなカレーのどでかい写真。いや、待て待て。俺は富士宮からひたすら牛丼特盛、卵、みそ汁と決めていたじゃないか・・・。看板には「原町東交差点左折」と書いてある。そして正にその交差点で赤信号にひっかかってしまった。牛丼モードが80%くらいに落ちて来ている、もう時間がない、信号が青になる。ぐんぐん下がる牛丼モードと反比例するカレーモード。辛い葛藤だ!

店員「ご注文は?」
韋駄天「ソーセージカレー、400グラム、3辛で・・・」

負けた。

カレーの魅力に。

店を出ると、適度な汗に清々しい3月の風を感じた。カレー最高。